「知性の作曲家・三善晃」

前川 和之 ( 立教 1988年卒)

作曲家・三善晃(1933-2013)は、多くの詩人と協業し、多くの合唱 作品を遺した。しかし、「三善先生は、委嘱元やプロデューサーから詩人や 詩を指定されて作曲することが多かったけれど、この《王孫》は、ほんと うにめずらしく、三善先生ご自身が詩を選んでいる」とは、本日のピアニ スト、中嶋香先生のコメントである。 昭和最大の抒情詩人・三好達治(1900-1964)が戦後発表した詩集 「駱駝の瘤にまたがつて」(1953年芸術院賞受賞)に収録されたこの《王 孫不帰》を俯瞰して感じられるのは、その「美しさ」である。韻律(リズム) の美しさ、情景(シーン)の美しさ、そして構成の美しさ。全体は26行。 最小ユニットである2行毎に韻律上のまとまりがあり、2+2の4行単位で ひとつのシーンを描く。そして(2+2)×3=12行で前半のセグメントを形 成し、「王孫は つひに帰らず」というクライマックスに到達する。ここは 詩全体の中心部であり、後半も4行×3シーン、というシンメトリックな構 成となっている。特に最後の2シーンは、「てい」「とう」「きり」「はたり」「ち やう(ちょう)」が美しいリズムとなり、ついに帰らなかった者と残された者 たちの間で響き合う。 韻律美、情景美、構成美。これこそ「太郎を眠らせ太郎の屋根に雪ふ りつむ」(雪)「泣きぬれる夕陽にむかつて轔々と私の乳母車を押せ」(乳母 車)「あはれ花びらながれ」(甃のうへ)などが収録された処女詩集『測量 船』から一貫した、「三好美学」とも呼ぶべきものであろう。 この「三好美学」は、多くの作曲家の創作欲を刺激した。例えば三善と同い年でやはりフランス派とも言える作曲家・萩原英彦(1933-2001) は、珠玉の女声合唱曲「甃のうへ」を残している。しかし三善が生涯、三 好達治の詩に作曲したのは、実はこの《王孫》のみである。立原道造の「或 る風に寄せて」や「ふるさとの夜に寄す」であれだけ美しい女声合唱を書 いた三善に、きっと多くの合唱団やプロデューサーは、こうした瑞々しい 音楽を期待して、三好達治の詩による曲を打診したに違いない。ところ が彼は、三好達治には頑なに背を向けているのだ。
ここで筆者は、今から50年前、あれすさぶ大学紛争において学生たち の知的支柱でありながら、明大や京大の助教授として学生と対峙しつつ、 ついにはその職も辞して命を擦り減らすように39歳という若さで亡くなっ た、作家で中国文学者の高橋和巳(1931-1971)のことを思わずにはい られない。 高橋にとっての最初の文学体験が、三好の『測量船』との出会いであっ た。それは相次ぐB29の空襲で日本の都市の数多くが灰墟に帰しつつあっ た戦争末期、彼自身も大阪の生家を空襲で焼かれ、四国に避難していた 頃である。当時中学生の多感な時期に彼は、「乳母車」に描かれた華々し く、美しく、しかも不安な道によって文学に目覚め、また、ほぼ同時に敗 戦を迎えたのだった。後に高橋は、エッセイ「詩人との出会いと別れ・三好達治」(1969年刊 「孤立と憂愁の中で」収録)において、そんな邂逅を振り返りつつ、あら ためて三好達治の詩の魅力について「フランス文学から学んだ近代感覚 と、漢詩とりわけ唐詩のリズムの、ごく自然な日本語化」にあると分析している。

しかし、三好が結局そこに立ち止まってしまったこと、戦時中には 「捷報いたる」などの戦争賛美の作品を発表していたこと、さらには戦後、 そんな過去すらも美化して振り返る姿勢に、いつしか心が離れていったと 綴っている。 三善とて、『測量船』のいくつもの詩で、フランス近代派の構築美と自 然なリズムを融合させて、美しいシーンを歌うことはできたはずだ。しか し彼はそれをしなかった、高橋和巳が背を向けたように。そして彼は、美 学としては一貫しているものの有名作ではないこの《王孫》(※)にのみ、 自らの意志で向き合ったのである。しかも男声合唱という、当時の彼とし ては例外的な媒体を用いて。
翻って《王孫》は、三善の深遠なる「知性」が生みだした孤高の名曲で あり、難曲である。 第一楽章冒頭部は、全曲を通じた基音となる「e」音のベース系ユニゾ ンで始まる。直ちに半音上の「f」にスプリットし緊張感が高まるが、それ は静謐な、実に美しいクラスターである。緊張感を保ったまま次のクラス ターであるソリストによる印象的な「きり」が現れるが、ここまで、実は「ホ 短調、4拍子・4小節」のホモフォニックで単純な構成である。その後、全パー トに振り分けられた短い動機(モチーフ)の数々は、「能」「謡い」を模した 細かな装飾音をまといながら、「住の江の」の厳しく、力強く且つ美しいユ ニゾンに収斂してゆく。 第二楽章は、定旋律(Cantus Firms)に対旋律が絡み合う典型的なポ リフォニーである。そして「王孫はつひに帰らず」になだれ込む瞬間が全 曲の中心となっているのは、原詩の構成と同じである。 ソリストの「とう、とう」の呼び声で始まる第三楽章も、随所に美しい旋 律が現れるものの、それがむき出しで聴衆の耳に届くことを作曲者は頑な に拒んでいるようだ。執拗な装飾音、変拍子や複合拍子、ピアノの轟音、 クラスター。混沌のようで、実は極めて精巧に組み合わされた音像の中 から最後に浮かび上がる「後の人 耳をかせ」という強いメッセージ。かげ ろう燃える砂浜の彼方(戦地)へ逝った息子たちと交わす「てい、とう」「き り」「はたり」「ちょう」の何と切実で、また何と美しいことか。しかし同じ「聞 け(耳をかせ)」という呼びかけでも、三善のそれは、とある作曲家による 「鐘鳴りぬ」の煽情的な世界とは、全く別物なのだ。
美というものの脆さ、それに人間が狂った時の恐ろしさ、美にごまかさ れることの愚かさを、三善は知っていた。三好達治の美しい言葉を情緒 的に歌い上げるだけの作曲を、彼の知性は許さなかった。三善晃こそ、 知性を捨てて感傷そして熱狂に流されることをもっとも嫌った作曲家では なかったか。 1970年。戦争を知らない学生たちは狂乱していた。そんな年にこの 《王孫》は初演された。三好達治は戦中、時代に流された。三好と精神 的に別離した高橋和巳は大学紛争の荒波の中で落命した。しかし「知性の 作曲家」三善晃は、そんな時代に冷徹に三好達治の美をすくい取り、そ れを永遠不変のメッセージに昇華させたのである。熱しやすく冷めやすい、 狂い始めるととめどない、愚かな男どものために。
 (※)例えば1971年刊行の岩波文庫「三好達治詩集」には、この《王孫》は収録されていない
 

第10回東京六大学OB合唱連盟演奏会パンフレットより

『週刊「Vのススメ」|第5回演奏会特設サイト』インターカレッジ男声合唱団Voces Veritas