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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY

追悼 柴田南雄先生 VS 田中信昭先生 アリオンを語る
(第37回定期演奏会プログラムより)

≪柴田南雄先生・田中信昭先生とアリオンの音楽≫

大嶌:田中先生顧問指揮就任30周年と言うことで両先生にお話をお伺いします。田中先生はアリオンの第7回定演から、お振り頂いていると言う事ですね。

田中:つまり、昭和32年の秋ぐらいからですか。

大嶌:そのように御聞きしています。

柴田:昭和32年からですか。東混に、軽井沢の現代音楽祭で『モンテヴェルディー』をやって頂いた頃ですね。東混の第1回は、’56年でしょ?昭和31年?

田中:そうです。

柴田:『優しき歌第二』の初演は第13回だから’59年?

田中:そうです。

柴田:まだ、今のアリオンの皆さんは影も形もないでしょうけれど(笑い)。「有史以前」ですね。僕らにしてみればついこのあいだの事ですけれど。

大嶌:田中先生は、どう言うきっかけでアリオンをお振りになるようになられたのですか?

田中:OB会長の小島さんが、学生を連れていきなり練習場へいらっしやつたんですよ。

柴田:東混の?するとどこですか?

田中:今の所(信濃町)です。まだバラックでしたけれど。

柴田:そう言えは軽井沢の音楽祭の頃はまだそうでしたね。

大嶌:それ以前から柴田先生と田中先生はお知合いだったのですか?

田中:軽井沢が最初ですか?

柴田:とにかく昭和30年代のはじめからですけれどね。

田中:「二十世紀」をしょっちゅう聞きに行ってたんですが、そこでお見かけしたのが最初です。

柴田:そうですか。東混定期の「合唱の歴史」。あれはもうちょっと後ですか?

田中:あれは、もうちょっと後です。

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柴田:あの時は東混とレコード録音の企画委員か編集委員でした。

田中:そうでしたね。

柴田:あの頃からは頻繁にお会いしている訳ですよ。でもおそらくアリオンさんとの方が、お付合いは早いんじゃありませんか?芸術大学をご卒業なさったのが昭和31年ですよね。それで、有名な話ですけれど芸大の卒業式の当日ですか、東混の第1回の発表会をなさったのは。もうそれは東混と田中信昭先生はその頃から一躍、音楽ジャーナリズムでは有名になった訳です。

大嶌:田中先生は2度ほど海外の方へ行かれたとお聞きしたんですけれど…。

田中:1回目はヨーロッパ。次はアメリカだね。そして、ヨ一口ツパ。

大嶌:それで海外から、お帰りになられてから、現在アリオンが行なっているような委嘱活動が始まっているような気がするのですが。

田中:1回ヨーロッパへ行ったのは、昭和32年なんですよ。その頃のロシア民謡とかそういうのをやっているね。不在の間荒木さんがやって下さったのかな。

柴田:荒木浩明さん?

田中:そうです。昭和36年です。36・37年と荒木さんがやって下さって、その次の年僕がアメリカから帰って来てからですか、その年から日本の作品の演奏が俄然始まったんだよね。2回目にアメリカへ行った時は、宮本昭嘉さんに1年代ってもらって、それ以降ずっと私が…。

大嶌:そのヨ一口ッパへ行ってから、田中先生の中で音楽観などに何か変化があったのでしょうか?

田中:あったかもしれないね。2回目の、特にアメリカへ行ってからは、我々日本人がヨーロッパの作品をやるということにどういう意味があるかということをしっかり考えさせられた体験を持ったね。それは、そのヨーロッパの人達の間で生活してみると、そういう人達の中にこういう音楽文化があるんだなって事をまざまざと聞いたり、見たり、体験したりした。で日本でやっていた勉強って、そういうものを学ぶという事、そこで学んだものを演奏するということをやっていた訳だけど、それは結局はヨーロッパ音楽を紹介するとか、あるいは、それを私達なりにやるということであって、じゃあ、日本の、日本人としての音楽とは何だろう。日本人としての音楽文化とは何だろう。それを、考えさせられた訳。

大嶌:柴田先生はそういった、日本的なもの、民族的なものを素材とする、音楽の中での最先端の部分をお歩きになっていると考えているのですけれど…。

柴田:皆さんの後を歩いているだけですよ(笑い)。まあ、私の場合は戦争中で、留学のチャンスはなかったのですが、だんだん歳をとってくれは 日本の文化とは何だろうと反省する、これは誰でもそうでしょうけれど。決してナショナリズムとか、そういう狭い意味ではないつもりですけれども。殊に音楽は言葉と結び付いているし、音楽の感覚は、やはり民族に特有なものが関わって釆ますしね。やはり、日本の楽器とか日本の民謡、日本の民族芸能などに少しずつ関心が向かってきた訳ですよ。最初は私は、楽器の方でしたね。お能の笛ですとか、日本の太鼓ですね。そういうものを、西洋風の歌い方と一緒に入れる、という風なところからだんだん日本の音楽に関心を持つようになったんですよ。

大嶌:アリオンを含めた音楽団体が、日本人作曲家に対して委嘱活動を行なっています。アリオンにとっても、田中先生にお振りいただいてから、それが伝続となっています。もちろん、田中先生のライフ・ワークでもあると思われるのですが、それは日本の音楽界にとって、また、田中先生、柴田先生にとって、どのような意味を持つのでしょうか。

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田中:それはまず、柴田先生にお伺いしなくては…。

柴田:まあ、お答えになるかどうか分からないけれど、さっき、田中先生から、欧米の音楽生活や専門家の活動を見てこられて、我々固有の合唱のレパートリーが必要だという事を痛感されたという事をおっしゃった訳だけれども、そういうことは、お出かけになる前からお感じになっておられて、それがもっとはっきりしたという事じゃないかと思うんですね。第二次世界大戦以後のヨーロッパの現代音楽の世界というものは、それまでと非常に違う形で音楽の創造が始まった訳です。ヨーロッパ音楽の伝統に加えて、世界音楽という風な形になって、新しい旅に出たのです。ですから、ヨーロッパ人も新しい創作においては、決して古典派やロマン派の、いわゆるドミソの、調子のある音楽ばかりではないんです。そういう新しい創造の世界というものを私達なりにやるとすればどうだろうか。それはヨーロッパのスタイルのいわゆる前衛音楽といわれていた形と言うのも一つの方法ですが、それ以外にも、ヨーロッパ人自身も、例えばポーランド人とかギリシャ人とかスペイン人とか、そういった人達はそれぞれ郷土の民謡に根ざした、しかも現代の感覚で新しい音楽を作っている訳ですね。器楽曲も合唱曲も。ですから、アリオンに限らず、東京混声合唱団でも何人もの作曲家に新作委嘱を次々に始めていた訳です。日本のオーケストラの団体にしてもそうですね。日本フィルハーモニーにしろ、NHKのようなところも新しい創作とをどんどんやってきた訳ですけれども、そういうものの中にお琴や尺八など、つまり日本の素材を使ったものが昭和30年代から入ってきましたが、それは、決して日本だけの問題ではなくて世界中の現代音楽が、それぞれの民族の古くからの財産をもう一回再検討して、自分たちの音楽を斬らたに作る、そういう大きな流れの中の運動であり、成果であった訳です。例えば、アリオンの音楽会にいらっしゃるお客様の中にも「随分アリオンは変った事をしているな。日本人の普段聞かないような奇妙なものをやっているな」とお思いになる人がいるかも知れないけれど、世界における音楽の創造、新しい音楽の行き方というものに、ちょっと目を向ける機会が有れば、実に当り前の、全く普通のことなんですね。そういうものがか一音楽会というものは、欧米にはむしろ全くない訳です。ちょっと日本の合唱界の批判になるけれど、日本の合唱界というものは余りにもヨーロッパの方にばかり目が向けられています。しかも、日本の作曲というものにも意外と18世紀か19世紀のヨーロッパで出来たような曲が未だにできつつあって、そういうものが喜んで歌われている。決して、それを否定する訳じゃないし、日本語の言葉をそういうスタイルで歌うことは無意味じゃないと思うけれど、そういうものばかりだとしたら、非常に不可思議な世界だと私なんかは思う訳です。こういう新作の委嘱というのは、欧米の音楽の世界では、合唱界を含めてごく普通のことで、それが日本で行なわれていなかった訳です。それを田中先生が普通の卸し直に載せてやっていらっしゃる。プロの路線としては東京混声合唱団、アマチュアの学生諸君としては法政アリオン。やはり、それが先生のお仕事の中の二つの大きな柱だとうことは、疑いないと思うんです。もちろん学生以外のアマチュア団体にも別のお考えで対応していらっしゃると思いますけれどもね。

田中:私が東混を仲間と一緒に作ったのが昭和31年なんだけれど、その時、3つの目標を掲げたのね。それは、「美しいアンサンブルと楽しい雰囲気の演奏会」、それからもう一つは「日本の合唱曲を作る」、もう一つは、「プロ合唱団として存続させる」。二番目の日本の合唱曲を作るという目標を掲げた意味は、「日本の聴衆の前で日本人の合唱団が演奏活動をして生きて行く為には、当然そのレパートリーは日本の曲であるはずだ。」ということで、じゃあ、「日本の曲は?」と思って捜してみると、その当時は良い曲がなかった、いや、良い悪いを問わずなかった。これを作らなくちゃしょうかない。幸い優れた作曲家が同じ時代にいて下さる。で、早速お願いをしたところが喜んで書きましょうと言って下さった。始めの頃は「お金なんかいいですよ」つておっしゃって下さる方もいて、協力して下さった訳です。そして、どんどん東混の委嘱作品はできた訳です。当時、アリオンの人達はまだ技術的にせいぜい先程先生がおっしゃられたドミソだとかドファラを合わせるのが精一杯でしたし、そのことが楽しいっていう程度の演奏技術であった。しかし、アマチュアはドミソやドファラをやっていれば良いという考えは間違っている。アマチュアだから易しい物だけをやっていれば良いんだと言うのではなくて、本当の音楽の愛好家ならは音楽する悦びをどんどん高めて行く事を楽しまなければ嘘だと思う。聴衆と交流し合うことが演奏であるとするならば、一私はそう思っている訳だけれども一言菓が通じない演奏が成立しない訳だからね。そういう意味でアリオンの皆さんにも新しい在り方を導入しなければいけないと思ったんです。委嘱の第1号は間宮芳生さんの曲で、『コンポジション6番』という素晴らしいもので、それを皮切りに優れた作曲家が協力して下さって、素晴らしい作品ばかりができてきた。
一つの団体でこんなに素晴らしい委嘱作品ばかり並ぶなんてことは、まあ奇蹟に近いよね。例えば、東混にも素晴らしい委嘱作品は何十曲も有りますが、その何十曲の委嘱作品を得る為には、もっと多くの百曲を越える委嘱活動をしている。だから、アリオンの学生諸君は本当に恵まれていると思うんですよ。

柴田:さっき、田中さんが東混が生れた時に、三つの目標を掲げたとおしゃった。また、それは、すべて達成されていますよね。それは東混だけではなしに、他の田中先生が関係していらっしゃる団体に於いてもそうではないかと思う訳です。それで思いだすのですが、芸大のもとは東京音楽学校であり、その更にもとは、音楽取詞掛と言うのが明治時代の始めにありました。その時、伊沢修二という人がやはり3つの目標を掲げたのです。それは、「東西両洋の音楽を折表する」、「日本の俗楽の程度を高める」、「音楽教育を盛んに興す」と言う3大目標でしたが、せいぜい達成したのは「音楽教育」だけです。初めから「東西両洋を折衷する」なんてことは、できる訳がないことを言っている訳ですね。それから、「俗楽の程度を高める」という考え方も明らかに聞達っていて、俗楽は、つまり、民謡を程度の低い、教養のある人間が相手にすべきものではないとし低く見ている訳です。民謡は人々の生活と密接に結び付いている訳で、我々が民族芸能などを汲み上げて、我々の音楽生活の中に持ってくると言うことは、明治の始めに官学の音楽取調掛を興した人達の考えとは違う訳です。私は最初のシアターピースの『追分節考』の中で『俗楽旋律考』と言う、明治の中頃に音楽学校の先生だった人が俗楽は程度の低いものだという論文を、椰輸する部分を入れて、作品の中に官学教育の誤りを固定した訳ですよ。今もお話が出た様に間宮先生など、私より前から民族芸能や民謡を現代的な感覚で作品にされている方がある訳ですけれど、我々の仕事は、その明治初期の誤った音楽観に対するプロテストであり、で、それはまた、第二次大戦後の世界の作曲界の趨勢でもある訳です。その時代から、心ある欧米の作曲家達も日本の、雅楽、謡曲、民謡、文楽などに非常に関心を持つようになりました。

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田中:演奏する側から言いますとね、そのヨーロッパの音楽の素晴らしさってものを耳で聞いて感動し、あるいは、それを理屈で、何て言うんですか‥学びながらそれに迫る事は、全く不可能ではないに違いないと。…不可能ではないけど…、でも、もっと単純に演奏ってのは、その…人間って言いますか、精神・身体全体、丸ごと人間、の一つの行為である。で、演奏していると、ヨーロッパの作品を学んで作っていくよりも、日本語の音楽をやっている方が身近であるし、身体で直接感じられる。特に民謡の様な日本人の体を通して洗練されてきた音楽って言うのは、まさに非常に身近な感じがする。それは当然の事と思う訳ね。日本語を喋って生きている訳だし、と言うことは、日本語のリズムで言葉を喋っている訳だし、そこから出て来てる〈響き〉を遊んでいる訳だし。それから、手を叩くとか、机を叩くとか、太鼓を叩くとかっていう、その動きもですね、自分のこの筋肉とこの骨の構造であるこの身体でやっている訳だからね。そうすると、直接にそれをもう理屈抜きに楽しむことができる。これは誰でもそうだと思うんだけどね。で、余り身近であるが為に、それが教養の無いものであると言う風な考え方になった人がいるというのは、無理がないのかも知れないけれど、音楽ってのは頭を通してやるもんじゃなくて、丸ごと身体全体の人間の行為である筈だから、その人間がね、理屈じゃなく本当に喜び、声を出し、手足を動かす。その自然の姿がね、やっぱり一番魅力的じゃないかと思うんですよ。日本人はヨーロッパ人と違うし、黒人とも違うし、やはり、日本人独特の物があるに違いないと思う訳ね。

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 ≪アリオンのキャラクターか生み出す委嘱作品≫

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大嶌:『萬歳流し』の委嘱の頃のアリオンはどういう感じだったのでしょうか?

柴田:まあ、今と違うって言えば違うし、同じだって言え(同じっていうか(笑い)‥・。それは、世代による違いはあるかも知れないけれど。ただ、私が思うにね、そのさっきの田中先生のアリオンに素晴らしい曲がたくさんできたと言うお話ですけれども、まあ、確かに田中先生のお考えがストレートに出易かったって事も一つあると思う。それから、法政アリオンのね、キャラクターつて言うのかな?まあキャラクターですねえ。これは、まあ、独特ですね。

田中:そうですね。

柴田:うん。まあ、僕もかなり方々の大学生諸君と付き合いがありますよね。もちろん田中先生もある訳だけれど。

田中:何が違うんですかね?

柴田:対応の幅が非常に広い…ですね。それから…どう言ったらいいかなあ?やっぱり非常に素直で素朴な…。

田中:そう!そこですね。そう…。

柴田:一言で言えば、非常に素直で素朴ですね。

田中:だから、既成観念にとらわれている人が少ないというのかなあ?

柴田:あの…入団した時に既に高校、中学で合唱や音楽部やっていたって人は多いですか?

大嶌:いや、もうほとんど皆無に等しい状態です。

柴田:それがいいんじゃないですかね。

田中:そうですね。

柴田:あんまり、高校でブラバンなどやっていると、やッぱりドレミファの音楽に固まっちゃっているから、非常に抵抗を感じる訳ですよね。それから・‥出身者は皆さんかなり全国的な…


大嶌:はい。北海道から九州まで全国から集まっています。要するに田舎者の集団ですね(笑い)。

柴田:そのことも僕はね、とても良いと思うんですよ。都会に偏してしまうとね、やっぱりどうしても、西洋風のポピュラー音楽やクラッシック音楽が染み付いちゃってて、それが大きな垣根になっちゃう訳ですね。でもね、結局はそれでも垣根を越すんだけど、その越すのにエネルギーが必要な訳ですね。そのバリアを越すのに。
しかし、アリオンの皆さんの場合は、もっと直接的にすっと入れるんじゃないかと思うんです。そこには、やはり垣根はあると思うんですよ。「なんでこんなものやらされるんだ」つていう感じの人もね、あるのが当然だと思うんですよ。だけれどもね、アリオンは、それを越えるのが速いと思うしね。それから、それを上級生が下級生に対してなんかこう…あっと言う間に越させてしまうっていう、なんか伝統の力があるでしょ。そこのところが独特の強みだと思いますけどね。

田中:そうですね。そう思います。その歴史の過程の中では一時学生がね、「どうしてこういうもんばっかりやるんだ。アマチュアじゃないか」という事をね、学生が集団でもって、私と意見を闘わせたこともある。今は、そう、今は全然そんな事ないね。それは大蔦君とやっているのかな?
大嶌:僕とたまにやっているんですけれど…。ただやっぱり、徐々に徐々にですが、田中先生のお考えがアリオンの中に、伝統的に確固たるものとして、出来上がりつつあると思います。また、そういったものが、アリオンの中に雰囲気として出来上がっていると思うんですが・‥。

田中:あの、またその誰もね、抵抗なく、こういう在り方に皆、諸手を上げて賛成って言うのも異常な状態なんでね。そういう一人一人反発があったり、疑問を感じたり意見を闘わせたりしあうっていくのが自然だと思うんだよね。だからこそいいのかも知れないしね。

柴田:それは当然なんでね。田中先生だって私だって、洋楽の基礎から出発した訳です。だから、皆さん方も西洋の小さな形式の、良くハモる合唱曲を排除するのは不自然なんであって、そういうものを、常にレパートリーとして楽しむことはむしろ必要だと思うんです。しかし、アリオンの委嘱で作られた『萬歳流し』は、このごろは他の団体でもよく歌われているし、実は、つい数日前ですけど、八ヶ岳の小海線の清里。あそこに山梨県が音楽堂を造ったんですよ。なかなか立派な音楽堂ですが、そこのオープニングにね、東混のメンバーの人達によって『萬歳流し』が演奏されたんですよ。そういうお祝いの曲目にはぴったりなのです。実は僕の所のスタジオ開きでもやっていただいたんですけれどもね。この間の清里の時なんかは、まったくアリオンとも東混とも関係の無い人達の企画の中で「オープニングに先ず『寓歳流し』を」という話が出たのです。

田中:そうね。それから他の委嘱作品も、もう他の団体がどんどんやっているでしょ。あの『王孫不帰』なんて高校生がコンクールにまで持って行っちゃった話もあるし、『コンポジション』に到っては、どこでもやられているし、それから今年は、関西大学が『縄文土偶』をやるしね。

大嶌:三善先生の『路標のうた』も今年は各地で演奏されるそうですね。

田中:ああ、『路標のうた』もねえ…、鹿児島大学ともやったし、あそこは、名古屋の…。

大嶌:ええ、クールジョワイエ。

田中:クールジョワイエ。ほとんど全部やっているんじゃない?アリオンの委嘱作品。

大嶌:あとは、早稲田のコールフリエーゲルが、『三つの時刻』と『路標のうた』を今度するそうです。            

田中:『三つの時刻』は、早稲田の委嘱でしたね?

大嶌:早稲田グリークラブの委嘱です。

田中:早稲田グリーの委嘱で、25年ぶりにアリオンが復刻に協力した訳だけどね。で、これらの曲はあちこちでやられていく様になるだろうし、それにふさわしい名曲ばかりだよね。


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≪アリオンかまっすぐに並んで歌えない理由≫

大嶌:アリオンコールの「アリオン」つて調べたところ、実在した人物だそうですね。合唱と演劇の基礎を築いた入ってことで、そういう人の名前をいただいて、それで演劇のような言わば、「動く合唱」をやっている訳ですよね。それをやっている現在のアリオンと演劇と、合唱の基礎を造ったアリオンという人のコントラスト、それがとても不思議に緑があるなと思ったんです。運命と言うか、そのようなものを感じたんです。それで良く、他の合唱団の人から聞かれるんです、「アリオンコールってきちんとまっすぐに並べないの?」といった具合に…(笑い)。いつ頃からあの様な、自由に、思い思いに並んで歌うという形ができたんですか?

田中:どうだったかなあ?ああ、こうだな。あのね、始めは並んで歌っていたんだよね。『コンポジション3番』も最初は、並んで歌っていたんだよね。それから、林光さんの『シンポジウムⅠ』。これは作品に動きが必要な曲。

大嶌:「声とアクションのため」にですからね。

田中:そう。その次の年が『萬歳流し』で、その次の次の年に柴田先生の『修二會讃』をやった。これまた動きがある。つまりね、なぜ動き始めたかって言うと、作品に必然性なんだよね。作品が動きを要求しているから、必然的に動く様になったんだよね。

そう考えると、そのヨーロッパのいわゆる日本でやられている作品というのは、だいぶ前の時代のもので、動きをとる必要がない作品だから、皆つっ立って並んで、指揮者が後ろを向いて一斉に声を出す訳だけど、本来音楽って言うのは、骨がせい揃いして、誰かの命令で一糸乱れずやるというものではなくって、皆がそれぞれ楽しんで、結果的に一斉になる、一緒になる方がいいよね。その本来の姿に戻らねばならない様な作品ができてきた。それに教えられて動き始めた。

大嶌:合唱団の中でも、アリオンコールは「動き」の部分ではかなり特異な存在だと思うんです。僕なんか演奏会へ行っても東混以外では、あまり見たことがないですね。

田中:うん。だから、それはやっている曲がそうだからであって、動きが独特なんではなくて、やっている作品って言うか、演奏の在り方が独特だからでしょう。動きは、それに伴って出て釆ている訳だからね。なんでもかんでも動けば良いっていうもんじゃない。動かないでいい曲を動いて演出つけて、ダンスみたいにしている演奏って、最近良くあるんだってね。そういった演奏会に、一度行ってごらん。驚くから。

大嶌:ミュージカル風にやっている所とかあるみたいですね。

田中:それは、まあ、やったって良いけど…。アリオンの動きっていうのはそういうのとは全然違うよね。

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≪これからのアリオンについて≫

大嶌:両先生にお開きしたいんですけれど、これからアリオンコールはどういう風になっていくだろうかとか、どういう風になって欲しいといった希望がありましたらお聞かせ下さい。

柴田:それは、その時その時の学生諸君が自主的に決めていかれることであってね、我々が希望なんていうことは言うべきことじゃないと思うのですが、今までの歴史と財産は大切にされるのがベストじゃないかなと思うんですけどね。

田中:もう、おっしゃる通り。それですべてだと思います。伝統っていうのはね、その時代、その時代の現役が本当にやりたいことを徹底的にやって、後で振り返った時に、それが伝統になっているものだと思うね。だから、先輩の言ったことをちゃんと守っていつまでも同じことをやっていることが伝統ではない。先生が最後におっしゃったように先輩達が造ってきた財産というものは大事にして欲しいね。

大嶌:これからアリオンコールも海外の方へ出掛けて、海外の人々にアリオンの歌を聴いて欲しいと考えているのですが。

田中:そうね、こういうレパートリーを持って行けば、本当に喜ばれるよね。この間、東混が行ったんだけどアメリカの人達びっくりしたらしいね。つまり、エコノミックアニマルである日本人達と思っている訳でしょ。それがこんなすごいものを持っていたかってね。こんな音楽が日本に在ったのかって、率直にびっくりしたらしいね。まあ、柴田先生の『追分節考』。これなどは仰天したらしい。自分達が予想もしなかった音楽の在り方。美しい音の「場」というのがね。「楽しくって、魅力的で、地上の物とは思えない」っていう批評が出た。それから、あとは湯浅譲二さんの『芭蕉の句によるプロジェクション』、武満さんの『風の馬』、三善晃さんの『日本民謡』、これらを持って行ったんだけど、どれも欧米ではない曲でしょ。アリオンの持っているレパートリーというのは、まさにそれに匹敵する、それを越えるぐらい魅力的なものが多いよね。その時、「言葉の障壁を越えた」つていう新聞の見出しがついていたんだよね。思うに、柴田先生の『追分節考』とか、『芭蕉の旬によるプロジェクション』にしても言葉は通じない訳だよね。日本語は解らない訳だよね。通じないけど、言葉の障壁を越えたという批評を貰った訳だよね。もし、ブラームスとかシューマンとかをやっていたら、きっと言葉の障壁は越えられなかっただろうと思う訳ね。

その新開に載っていたんだけど、「あらゆる人間の経験には普遍性があるんだってことを感じさせてくれた」つて。これはまあ、最高の讃辞だと思うんだけど。ということはね、ヨーロッパ人に解るような、あるいはアメリカ人に解るような、彼らが持っているようなものを持って行ったら、解って貰えると思ったら大間違いなんだよ。我々、日本人に徹した音楽を持って行った時に本当に感じて貰えるんだなって体験したね。

大嶌:はい。たいへん、結構なお話でした。

柴田:このくらいのお話で資料になりますか?

大嶌:はい。「対談」と言うより、私共の「勉強会」になってしまいました(笑い)。

田中:良いお話が伺えたね。

大嶌:はい。本日はお忙しい中、どうも有り難うございました。

両先生:どうも…。

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