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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY

巻頭言

CADENZA01.gif 六大学合唱連盟成員の皆様、”カデンツ”何なる機関誌があること、御存じですか。「六大学合唱連盟の初期の理想……」 の達成を掲げ、はをばなしく登場したあの機関誌のことをiぽんヤクとは覚えているよ。そう言われてみればね…」
 それでいいんす。極端をことを言えば、まったく忘れられてしまっててもいいんです。もともと、すべてが自慰的行為の産物でしかなかったんですから。
 ぼくの理想が君の理想でないのと同じように、六大学合唱連盟に同一町理想などありぁしなかったのです。ただ”理想”という言葉の毒にあてられていたのなら話は別ですが。



 いくら音楽が好きだというぼくらでも、ほくらが所属しているクラブにすら疑問をもったり、ささやかながら反逆したりしているのですから、ましてや一つの理想の下に完全に六大学合唱連盟の成員となることなど、絶対にできっこないのです-一元的世界の美しい虚構にまどわされるのはもういやなんです。
 だからぼくらは、昨年のような理想など決して掲げません。でも理想を掲げないか自慰でないなどとも言いません。やっぱりぼくらも自慰的行為をしているのです。ですから、こんな機関誌のことなどまったく無視されてもいいのです。

六連を考える

討論会-六連の意義について(カデンツ編集委員会)

 今日は六連の意義についてガデンツ編集委員会で話し合おうということで集まっていただいたんですが、いきなりそのような問題には入りにくかろうと思います。で、本論に入る前に少なくともここにお集まりの方々は六連を一回ないし二回、三回経験がおありでしょうから、その感想、あるいは六連に対してのイメージといったものをうかがいたいんですが。どのように今まで考え、又演奏会後どのような考えをもったかということなど。

○そうですね。正直言えば六連の意味、ないしは六連に関わる自分の考えをどというものを考えたことはありませんでしたね。確かにひとつの演奏会とんて、それも六校が一堂に会してのかなり重要な演奏会としては考えていましたけれども”六大学”というように、それを特別意味あるものとして考えたことはなかったようです。

○僕も同じですが特別に六連というものを”六大学の演奏会”というようには考えていませんでした。クラブのスケジュールに組みこまれている比較的重要な演奏会という程度でしたネ。

○演奏会としての関心はあるが六大学という限定詞をつけると案外そのイメージはポヤケていせすね。演奏会後も六大学とというものに対してのイメージーは変わったとは思いません。

○僕なんかも例にもれず特別六連の意義なんかを考えたことはなかったんですが、ただ演奏会後、各校のライバル意識といいますか、そういうエゴイズム集合体的な要素を感じたことがあります。ライバル意識はもちろん結構なことですが、何かこう、ギスギスした感じは好きではありません。

○そうですね。例えばステージ順なんかを決める場合、一番目、二番目というのは何かこう、前座的要素といぅたものがあることから、どうしてもうちは後がいいということになる。出来れば最終ステージでカツコよくしめくくりたいと思うのでしょうが、それも裏返せば各校の余力健康的でないライバル意識の表われでしょうね。

○感想と言えば演奏会後、六校そろってのビア=パーティがないというのも淋しいようなな気がしましたね。例えば早稲田と慶應は昔から好敵手ということもあって、良きにつけ悪しにつけ、比較的交流があるようですが、まあそれで去年なんかは演奏会後すぐにあの上野の一偶でビア=パーティを開いた。だけども、それを六大学一緒にというように持っていけたらなお良いんじやないか。六大学と言いをがら案外バラバラの各合唱団であるような気がしました。

○クラブの予定としてあったからやったということかな。漠然とした気持でステージに乗っていたみたいだった。

○合同曲がいかにもお粗末という気がしましたね。指揮者、去年は確か福永先生でしたけれど、その福永さんが可愛そうな気がしました。

○そう。合同曲の軽視ということが演奏会後特に感じられました。何の為の合同曲だったのだろうなんて…。

 -感想はまず大体そのようなことにとどめておくことにしまして、ではそういうひとつの反省から話を展開させていきたいと思います。先程の話で言えば六連についての無関心といったものから。ではどうしてそのような状態になってしまったのでしょうか。

○この六連のそもそものキッカケと言うべきものは、聞くところによれば早慶の提案で始まったということです。当時、つまり昭和二十五、六年頃はまだ各大学の定期演奏会といったものはかなあいまいな存在で、というより定演をもっている大学は教少なかった。そこで各団体に於ける成果を定期演奏会という形で六大学一堂に会してやろうということになった。当時はだから六連と言えば現在僕らが抱いているような定演的イメージが強かったということです。まあそうやって始まった六連だったけれども、時が移り、代が変わって、その後の各団体に於ける活動が活発になって定演という形が自分達のクラブの定演として定着され始めれば、結果的に六連は”在るからやる”というように受身的な、付録的なものとなって来る。めぐまれているのは事実で、めぐまれすぎると苦しかった昔のことはしばしば忘れがちとなり、現在の僕らの六連に対しての積極性が希薄なのも、そういうことからも来ているのではをいかと思います。

○伝統ないし初志を貫くということの難しさはそんをところにもありますね。ましてクラブというようなそれ自身が常に世代交代してゆくことが不可避な性質の団体ではことは一そう困難です。マンネリズムへ堕す危険はどこにでも、いつでもありますよ。

○世阿弥の言葉『初心忘るべからず』というのがありますが、それは単に初心を貫徹せよということではなくて、現在の自分の苦境を見失なわないために芸を初めたころの未熟さ、醜悪さを思い出せということであると言います、その意味からしても六連当初の新鮮な心意気、六連への情熱的な関わり方を受継ぐことは難しい。

○大体クラブの年間スケジュールが忙しすぎると思うんです。六連の意義とか意味なんかを考えている余裕なんてほとんどなくて、六連が終れば次の演奏会がひかえている。六連というものがひとつの演奏会なら、その次にある演奏会も立派な演奏会で、同じように演奏として立派に仕上げるということは考えるけれども、あえて六連とは何か、まして六連が六校である理由とか、自分のクラブと六連の関係を考える余裕をんてことはほとんどないといっていい。

○とするとやっぱり六連は受身的なもの、それがあるから歌うんだということにをってしまぅね。マネ会の方でも六連があるからやるというのが本音のようだ。六連があるからそれに伴う様々な事務的な、マネージ的仕事が必要になって来て、そしてそれをマネージャー各員がやってゆくという訳だ。

○意識的な入がいてもそれはほんの上層部の人たちだけで、一般部員は演奏会としてとり組むことはあっても、六大学ないし六連というものを特別意識して歌う訳ではない。六連の本当の意義というものはそこでも忘れられているようですネ。

○だけど、実際指揮者の合同会議やマネ会で話しあっても、下からの盛少上が少がないとどうしようもないんだな。六連を終ったあと、各個人に何らかの変化があればそれを期待するという程度のことしか出来ない。

○また不思議なことに各団員は六連はこれ以後も続くだろうということは思っている。裏返せばそれも問題意識の欠如で、六連というものへの無関心を表わすものだ。

○やってみて考えるというのもひとつの賢明な思考方法だったはずだけれど、終ったあと忙しすぎたり、別の方面に関心があったりすると、ついおろそかになりがちです。ひとつの演奏会に前後ともに余裕をもちたいと思いますね。

○無関心とか無気力とかぞういう問題はだけど何をやるにしても出て来せす。主体性云々、いろんな形でその問題にとり組むけれど効果はどうもねえ。初心に帰れとか、昔を思い出せ、というのでも策がなさすぎますし。僕ほむしろ、現在の六連がどうあるべきかということを考えたいと思う。凡そ何事かの意義とか意識なんていうものは時代とともに変化するのが根本だし、それが真理をらもう一度ここで六連とは何だったのかと問うてみたいと思うんですが。

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 いよいよ本論に入って来たようですがここら辺で今日の討論会のテーマであります六連の意義について、各々の意見など出していただきたいと思います。かくありたいというようなものでも結構です。

○僕には東京六大学、その六連を東日本の代表的音楽団体として考えたいという気持がありますね。関西にも六連というものがありますが関東の六連はやはり関東の音楽的水準を示しうるものでありたいと思います。そしてそこに六連に関わるひとつの意味を見い出したいと考えますが。

○お祭りというふうに考えてもいいんじゃないですか。唄うことの楽しみを表現すると同時に、音楽することの連帯感を持ちつつ交流しあうというような。野球大会もその一例だと思うけれども、六連もそういう要素を加味したら良いと思うけれど。

○そうだね。六連開始当初からもー種の親睦、連帯感を求める気持というものがあったと思う。それならそれで、それを積極的に推し進める方法があっても良いような気かする。個人対個人のつき合いがないし、親睦の場がもっと欲しいですよ。合同曲があると言っても何かこじつけのようを気がしないでもをいし、形式的であるようにも思える。

○合同曲について考えてみると六連の意義というものが案外はっきりするのじやないかと思う。六大学がひとつの曲を唄うという場がいわゆる合同曲のステージでぞの本来的な意味は何だったのか。合同曲は現在各校の付録的なものとして考えられているようだけれども、当初それはどのように考えられていたのだろうか。そう問いかけてみるのも悪くはないと思うけれど。

○初めのうちは合同曲がかなり比重をもって各合唱団にとらえられていたらしいですね。それはやはり、六校が同じ音楽する者との連帯感を求めていたということでもあるようです。

○連帯感、音楽に於ける連帯意識を求めているということは否めない。例年合同曲が各校のステージに比べてお粗末ではあるけれども、同じ歌を唄うということの中には他者との感情を共有したいという秘められた意志があるのは確かだろうと思う。

○ということは大連は各校の親交、交流、連帯を求めるためにあるということになるんでしようか。そして合同曲こそが六連の本当のステ一ジであると…。

○合同曲をやるということの中には、僕らの主体性を盛りこんでゆくという意味もあると思います。各校の曲目は大体に於いて、その団体の指揮者の先生が選択なさるのに比べて合同の場合はかなりの程度こちらの選択の意志というべきものが表現出来るのじゃあないですか。

○それもだけど問題多いらしいよ。例えば今回の手塚先生の場合、初め学指棒会議では若杉先生を選んだらしい。ところが先生の方が御都合つかなくて、ということはてこでひとつ、こちら側の希望がかなえられなかったということだし、そして学指揮会議で選んだ曲を手塚先生のところへ、数曲もっていって最終的には先生御自身に選んでもらったということだ。何と言ってもこちらは教えられる方だから強く出来ない面も確かにあるけれど合同曲も結局与えられるものという意識があるんじゃないだろうか。

○合同曲をやるということの動機のひとつには、端的に言って素朴なヒューマニズムが働いているからだろう。六校が集まって同じ歌を唄うということ。それはやはり人間同志の連帯を志向しようとするものだ。であるとすれば六連の意義として、合同曲をこれからもプログラムの中に入れてゆこうとするならそのことを横極的に打ち出しても良いようを気がする。合同曲は六校で楽しもうじゃないかとはっきり提唱することだ。そしてそれに応じたふさわしい曲を選んだらいい。

○主旨としては賛成だけれど、しかしそれはあくまで六連の半分であるということを忘れて欲しくない。もう半分はやはり、音楽というひとつの芸術にたずさわる人間として厳しい自己練磨と自己克己とが要求されているということ。つまり、各校のステージはどこまでも真剣に、どこまでも厳格に、ひとつの芸術空間の創造を志向して唄い上げるのたということ。合同曲の他にも各校のステージというものがあるのであって、それが第一義とは言わないけれども、そのステージに於いてはあくまでお祭的要素は排除せられるべきだと思う。

○もちろんだろう。単に楽しむだけなら、六大学の野球大会があるし、その他必要ならポーリング大会、麻雀大会など催せばいい。唄う曲だってそうならばフォークソングみたいな曲だって良いわけだし、何もあえて難しい曲をやる必要なんかはないはずだ。僕らはやはり音楽に自己の全存在を賭けようとしているし、又それに耐えうる音楽を求めているということは言わずもがな…。

○だから、六連の意義というものに二つあると考えていいと思う。ひとつは各校のステージを、そこに投げかける各個人の音楽的情熱でもって充実させるということと、二つ目には合同曲のステージに於いて六校がひとつの曲を唄うことによって連帯感、素朴をヒューマニズムを確かめ合うということ。現状としてそのことが各構成員に自覚されているかどうかは問題としても、六連とは今後そのような方向で進んでゆきたいと思う。

○とすると、各校のライバル意識というものも、六連の意義の半分としては容認されるという訳ですね。音楽的な意味で各校が全力をふりしぼりつつ、競い合うということは何と言っても素晴らしいし、それは六連のような場でしかありないことだから。ただし、あとの半分は仲良くやろう、楽しもうということですね。

○それは各構成員が自校が取り組む曲に関してそれなりの自負心をもつということでもある訳で、それが発展していって、各校が日本の合唱界をリードしてゆくというようにでもをれば一そう素晴らしいことになるでしよう。絶えず世代が交代せざるをえないこの六連という組織ですが、そういう気持は今後も忘れたくないものですね。

 そうそう意見も出展したようですのでこの辺で終りたいと思いせす。今日は御出席、どうもありがとうどざいました。

「曲目選択にあたって」

 間宮芳生氏は-本来集団でうたわれる民謡を、日本の合唱の新しい方向の一つの重要な基礎として考えよう-と提唱しています。我々アリオンコールはこの提唱に共鳴し、ここ数年、間宮氏の作品を含めて西洋音楽にはない日本音楽独自のリズム、ハーモニーをもって唱われる合唱曲を一貫して歌いつづけてまいりました。それはすペて日本の民族音楽(民謡・民俗芸能、等)にその素材を求めた作品であります。なぜ我々がこのような音楽に取り組んだかというと、学生合唱団では一つの方向性をもつということが必要であると考えたからです。このような音楽は日本人が本来会得しているリズム感・音程感によって書かれているので、我々にとっても最もその本質に近づきやすいものであるはずだし、一つの主張を一貫してつらめくことがその段階において可能であると考えられたからでありました。
 今回の六連で我々はまったく今迄とちがうジャンルより選曲をしました。

 グレイニリオ聖歌、及び通常ミサ「ギョーム・ド・マショー」 我々は数年間前述のようを音楽を追求し、昨年の定期演奏会においてその主張のすペてを出し、少なかりとも我々の主張する音楽の本質に近づくことができたと考え、新たを目標に向かうことにしたのです。
 これは単に衣換えの如く日本の曲から外国の曲へ移りて気分転換しようとするものではなく、西洋の音楽を追求することは、逆に言うなら、より日本の音楽を広い視野から、そして深く探ることが可能にならしめるものと信じるからです。そして選ばれたのがグレゴリオ聖歌でありました。
 ものの本質を見極めようとする時、我々はその根元を正そうという仕事をします。そしてそのものがいかなる変遷を経て現在ある姿になったかを正しく見極めねばならないでしょう。西洋音楽(合唱)の歴史の中でグレゴリオ聖歌の位置は非常に大きなものです。西洋合唱音楽において、その源泉はグレゴリオ聖歌であるといっても過言ではないでしょう。このことが我々をしてグレゴリオ聖歌を選曲せしめた理由であり、意図なのです。
 またマショ一のミサは通常文部分を初めて通作した作品であり、ミサ作曲の規範とされています。このことから我々は「マショーのミサ」を選ぶことにしました。

合同ステージ
合同演奏をするにあたって

 まず、ものの順序としてどうして合同演奏の曲として「枯木と太陽の歌」が選ばれたかというその過程から説明したい。今回の六連の演奏会を行なうにあたっては、今までより少しでも学生の主体性を発揮できろようにということで合同曲の選考に関しても、ただ合同演奉の指揮をなさる先生に一任するという形をさけ、数回にわたり各クラブの学生指揮者会議を開き、その中で皆の歌いたい曲としていくつかの候補曲をあげ、その中から合同演奏の指揮者である手塚先生に選択してもらうという形がとられた。候補曲としては「枯木と太陽の歌」「シューベルト男声合唱曲」「ロシア民惑」等があげられたが、手塚先生のオーソドックスでしかも単一の曲をという意向により「枯木と太陽の歌」に決定した。
 そこで少しでも良い演奏ができるように、また時間的に合同練習をする機会が少ないその不備な点を補う一助として役立つことを願って、先日、日フィルの練習に手塚先生をおたずねし、合同演奏するにあたっての諸注意事項などをうかがった。その時の模様及び内容を皆さんにお伝えしたい。
 先生は全く合唱指揮の経験をお持ちにならないというわけではないが、今度の六連の合同演奏をする機会を得られたことについてとても嬉しいことだというふうに語っておられた。演奏そのものについてほ、まずなによりも、オーケストラ、コーラスを問わず音楽をする場合に気持ちをこめた演奏をするようにと語られた。
 又、本番の重要性を特にお話しになられた。つまり、むろん一つの本番の演奏はそれに先立つ数回にわたる練習の上に成り立っているのだが、単に平素の練習の延長として本番を考えるのではなく、やはり練習と本番とのあいだには一線が画されるべきだということ、本番のときのあの特殊な雰囲気を大切にすることを強調された。

そのためには、その場における持続された緊張感というものが是非必要であるし、また、ただ単にきれいに
美しく曲を仕上げるということだけに意を用いるのではなく、当日の聴衆の人々に何かを感じてもらえることのできる演奏を心がけるようにとのことでした。特にアマチュアの場合、たとえ演奏技術の上で発声や音程等に難があったとしても、それはある意味ではやむをえないことであって、やはり聴衆に何かあるものを強く訴えることのできる演奏を目指すべきだとのこと、そして演奏者としての我々については、二百五十名にものぼる男子学生による非常に大きな規模の演奏をすることのできる数少ない機会の一つとして、合同演奏の場を我々皆んなが十分に楽しみ、そこに参加するよろこびを別ちあえることを望まれるとのことでした。
 最後に一回一回の練習を積み重ねる中で何か一つでもよいから具体的なものをつかみ、それを自分の中に残して本番に臨むこと、そして本番においては最低限手塚先生の指揮棒を見るゆとりが持てるように、つまり合唱の指導者として、手塚先生に演奏技法に関して懇切丁寧な指導を仰ぎ、それをそのまま演奏会場で再現するだけにとどせるようなことなどのをいように、あくまで指揮者としての手塚先生の指揮棒の動きの中から先生
の意をくみとって一つの曲を創り上げていくようにしてほしいと語られた。そして手塚先生と我々とがお互いに相手を理解する気持をもって、本番においてはあくまでもその場の独特な雰囲気の中で即興性を失うことのない、そんな演奏を目指していきたいというふうにお話しになられた。
 以上、聞き手の私の不備のため、先生に十分にお話しをうかがうことのできなかった点をお託びすると共に一応この文をもってその時の報告とさせていただきたい。   

(編集部)