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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY


初演 1974年5月19日 第23回六連(東京文化会館)  指揮 田中信昭
    1974年12月8日 第24回定演(郵便貯金ホール) 指揮 田中信昭

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メッセージ

林 光

 合唱音楽は、日本では長いあいだ、もっとも保守的、というより閉鎖的なジャンルだった。合唱音楽の世界が、現代=同時代の音楽の名に値する作品を持ったのは、やっと1950年代のおわりのことだ。1960年代をつうじて、合唱音楽は、他の器楽曲のジャンルに追いつくほどの作品を生んだ。
 だが、依然として、合唱音楽は、その可能性のごく一部分しか、つかい果していない。合唱団員は、まるでコントラバスでもかかえているみたいに、ステージ上に位置を固定して、ごくせまい、限られた種類の音を発するだけだ。どんな楽器奏者よりも、自由に動きまわれるのに。他のどんな楽器よりも、複雑微妙な、そして多くの音を発し、使いわけられるというのに。
 SymposiumⅠとⅡは、このような考えに立って、試みられている。
 この試みでだいじなのは、表現手段の、さまざまなやりかたではなく、作品にたいする態度である。合唱団員と聴衆とが、共同で討論に参加するようなぐあいに、演奏に参加できれば、面白いだろう。

 SymposiumⅠとⅡは、それぞれ独立した作品である。
Ⅰは、ユニゾンでうたわれる。岩田宏氏の「最新かぞえうた」を軸として、アクションと引用とを組みあわせた。
 アクションと引用文の選択は、ほんらいは任意であるが、アクションはノンセンスなもの、引用は芸術論ないし聴衆論をめぐるもの、であることが、のぞましい。今回は、どちら
も作曲者自身の選択によるものが、用いられた。
参考までに、引用文の著者を列記する。
中田喜直。別宮貞雄。高橋悠治。テオドル・アドルノ。世阿弥元清。毛沢東。

 Ⅱは、長谷川四郎氏の訳による、ベルトルト・ブレヒト「息づかいの礼拝式」によっている。5行の叙事的な詩句と、抒情詩の仮面をつけたリフレーンとが、交互にあらわれる、
原詩の構成をそのままふんでいる。
 叙事的な部分では、5行の詩句がうたわれる順序が、また、終わりのないくさり構造になっているリフレーンでは、どこから歌いはじめるかが、それぞれ、指揮者の選択にまかされている。

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息づかいの礼拝式

むこうから一人の婆1きんやってきた
くうパンのない婆さんだった
パンは軍隊がくってしまった
婆さんドブにころけおちドブは冷たかった
もう空腹もなくなった
しかるに森の小鳥ら沈黙守り
なべての枝々に静けさあり
なべての山の頂きに
さゆらぐ息づかいの気配とてなし
    中 略

さてそこへでっかい赤熊一頭やってきた
土地の仕切りごそんじなくて熊だもの
知らなくて平気だった
しかし青二才でなくてドジもチャンと
ふまなかった
森の小鳥をとってくい とってはくった
ここにおいてか小鳥らさえずりだし
なへての枝々に不安おののき
なべての山の頂きに今や
きみは感ず息づかいの気配を

出版  なし

録音  なし

演奏

法政大学アリオンコール
六連(第23回〈初演〉)
法関(第14回、第19回、第29回、39回)
定期(第24回、第25回、第27回、第30回、第33回、第49回、第52回)

甍会、早稲田大学コールフリエーゲル