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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY


初演 1975年5月3日 第24回六連(東京文化会館)  指揮 田中信昭

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「萬歳流し」について~秋田県横手市の萬歳~

柴田南雄

  近頃ではすっかり見られなくなったが、わたしたちの子供の頃には、東京にもお正月になると太夫と才蔵の二人一組の商歳(まんぎい)が、鼓で離しながら一軒一軒、門付(かどづけ)して歩く姿があった。その人達は尾張、三河の方からやって来た。そこが商歳の発祥の地である。萬歳はしかし古くから各地に広まって根付いたが、慶長年間に常陸(茨城)をへて秋田にも入った。今日でもこの地方は各種の民俗芸能や民謡の宝庫だが、そうした土地柄だけに、商歳も「秋田萬歳」として独特の発展をとげたのである。
《かまくら≫で知られる雪国の町、横手は、この地方での萬歳の中心地だった。かつては近隣の町村も合わせて150組くらいの萬歳が、遠くは北海道にまで巡業したものだそうである。
しかし、今や、横手萬歳の芸を伝承するのはただ一組の太夫(松井福蔵さん、53才)と才蔵(最上盛治郎さん、59才)のみである。わたくしはこの二人の芸を最初「小沢昭一の放浪芸」と題する有名なレコード・アルバムで知った。そこには横手萬歳の全12編のうちの一つ≪御門開き≫がやや省略された形で約6分ほど録音されていた。それを聞いて、わたくしは是非他のレパートリーも聞き、これを素材に合唱曲に構成してみようと思い立った。

その結果がここにお聞かせする「萬歳流し」で、1973年8月、74年9月、75年3月の現地での録音によっている。それらの演者は前記の松井さんと最上さんで、お二人からの聞き書きも参考にした。わたくしは、この曲でいわゆるアレンジに類することは一切やらず、松井さんと最上さんの唱え方、歌い方をナマの形で生かすように心掛けた。
わたくしの前作≪追分節考≫でもそうだが、曲は指揮者がその場で即興的に構成していく。また合唱団はステージの上だけで歌うのでなく、場内を自由に歩きまわる。もともと萬歳はアド・リブの芸であり、門付の芸なのだから。わたくしは、合唱団が昔の西洋の名曲を楽しむのも大へん結構なことと思うが、日本人の合唱団にしかできないこと、しかも、今や忘れられ、絶えようとしている芸能に新らしい息吹きを与えることは、いっそう意義のあることではないか、と思っている。
そのことがこの曲を考えたおもな理由である。じつは、幸なことにわたくしは横手市と、またすぐ近くの羽後町にも親しい知人があって、すでに先年この地方のお祭りに行って録音をした経験があった。こういう場合、現地に知人のあることは大へん心強いものである。萬歳の録音についても、H.S.さん、S.S君のお二人に大へんお世話になった。また、横手市教育委員会の堀江彰氏の御好意に対し厚く御礼申上げる。

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「萬歳流し」

柴田南雄

  「萬歳流し」は、「追分節考」につぐ合唱のためのシアター・ピース第二作で、元来は法政大学アリオンコールの男声合唱のために構想し、のち東混のために女声パートを加えた。
≪かまくら≫で知られている雪国の町、秋田県横手は、かつて商歳の中心地で、最盛期には百五十組もの太夫と才蔵のコンビが遠く北海道まで巡業したという。それが今日では松井福蔵さん(太夫)と最上盛治郎さん(才蔵)のただ一組が残るだけである。わたくしがこの「横手萬歳」の存在を知ったのはビクター・レコード≪日本の放浪芸≫(取材・構成:小沢昭一)の中に短く収録されていたためで、その解説には「練りこんだコンビらしく、二人の言葉のデュエットが楽しい。
太夫が詞を唱える間に才蔵が所謂“づくし”をアドリブの様にはさんで行き、ところどころで合流する間尺が実にいい。
素晴らしい現業者だ。芸人としての腕も一級と見た。」と書かれている。わたくしは横手に三回行き、録音とヴィデオ録画と聞き書きを行なった。昔は全部で十二曲あったそうだが、現在は七曲で、「萬歳流し」はその中の「御門開き」と「秋田御国萬歳」を素材としている。

 第一作の「追分節考」の素材は馬を追って歩きながらの歌であったが、萬歳は二人がペアを組んでの門付芸である。従って導入部のあと、合唱団は何組もの太夫と才蔵とに分かれ、会場内に散っていき、思い思いに寄席を門付けして回る。初演の時思いがけず客席から 《おひねり≫が出たが、その習慣は定着している。いわば聴衆参加の機会がしぜんに生じた形となった。音源は場内に分散し会場空間全体が歌声に満たされる。以上の部分では、「御門開き」が歌われる。後半では、現実にはあり得ないことだが、全体が太夫のグループと才蔵のグループとに分かれて、朗々とユニゾンで掛け合いを行なう。ここでは「秋田御国萬歳」が歌われるが、もはや門付けはしないで、いわば虚構の、萬歳師たちのデモンストレーションといった趣となる。
 上演は指揮者の即興的構成に委ねられている。1975年5月3日、田中信昭指揮、法政大学アリオンコールの定期演奏会※で初演。東混のほか、早稲田大学(関屋普指揮)や中央大学(菅野浩和指揮)の演奏会でもとり上げられた。
 わたくしは、「萬歳流し」を歌う学生諸君には、かつての東北農民がこうした芸能を身につけて出かせぎしなければ冬が越せなかった生酒の厳しさを思いながらこの曲にとり組んで貰いたい、と話すことにしている。
1982年末までにほぼ40回の上演回数を重ねている。

(ビクターレコードのための解説)

※ 東京六大学合唱連盟定期演奏会の誤り

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成立の経過と構成 

柴田南雄

『萬歳流し』は,合唱のためのシアター・ピース第二作で,田中信昭さんから,彼が手旨揮者である法政大学アリオン・コールの男声合唱のために依頼を受け,のち東混のために二種類の女声パートを書き加えた。「かまくら」で知られている雪国の町,秋田」県横手市は,かつて萬歳の中心地で,最盛期には150組もの太夫と才蔵のコンビが遠く北毎道まで巡業したという。それが今日では松井福蔵さん(太夫、1923年生まれ)と最上盛治郎さん(才蔵,1916年生まれ)のただ1組が残るだけである。
 わたくしが秋田萬歳の一変種というべき「横手萬歳」の存在を知ったのはビクター・レコード ≪日本の放浪芸≫ の中に「御門萬歳」が短く収録されていたためで,その解説には「練りこんだコンビらしく,二人の言葉のデュエットが楽しい。太夫が詞を唱える間に才歳が所謂“づくし“をアドリブの様にはさんで行き,ところどころで合流する間尺が実にいい。素晴らしい現業者だ。芸人としての腕も一級と見た。」と書かれている。74年7月,新宿の朝日カルチャー・センターに他の用事で赴いた時,偶然小沢氏の放浪芸の講座があり,事務局に頼んで、その時間だけ聴講させて貰ったことがあった。その時にも横手萬歳の話とレコードがあったと思う。わたくしは,これはシアター・ピースの絶好の素材になり得ると直感した。(中略)
11月15日,法政大学アリオン・コールの委員諸君来訪,正式に作曲の委嘱を受けたが,この時点ではこちらの計画の方が先走っていたことになる。74年12月31日と翌元旦にテープから五線譜へ予備的なスケッチを試み,2月中にも継続,さらに2月22日に曲の構成案を決定,2月26日からイントロの作曲をはじめ,再び「御門開き」から本格的に採譜を開始(何しろ才蔵の噺し言葉を採録するのが大へんであった),3月18日には合唱団のための演奏上の解説案を作製,その部分までの楽譜を21日に一応,合唱団に手渡している。引きつづき3月28日に「秋田御国萬歳」の採譜を,30日にはバックグランドのハーモニーの作譜を終り,最終的には3月31日にすべてを完了している。初演は,1975年5月3日,東京文化会館大ホールでの第24回東京六大学合唱連盟定期演奏会に出演した,田中信昭指揮,法政大学アリオン・コールによって昼夜2回行なわれた。バックのハーモニーは新入生の受け持ちで,その習慣は以後の演奏でも定着しているのではないかと思う。 

 なお,初演を目前にしての悩みの種は才蔵グループの持つ小鼓の調達であった。小鼓は稽古用にしても大へん高価で,合唱団全員の分を揃えるなど可能なことだった。4月3日,名古屋に所用の折,紹介されて千種区の鈴木鼓店を訪れ,1個5万5千円という破格の安価で2個注文,初演時には別途入手の中古の1個を加えたわずか3個の鼓と,その他は,何と大型のタッパー・ウェアで間に合わせた。タッパーは意外に良い音がした。その後,翌年に2個,翌々年に5個とやはり鈴木鼓店に発注した格安値段の鼓の数をだんだん増やしてゆき,10個を常備している。(中略)
 さて,74年9月に横手市役所商工課において閲覧した「横手萬歳の由来」(1956年1月19日作製の文書)によると,萬歳は三河から常陸をへて慶長年間(1596-1615の間)に秋田に入ったという。昔は全部で表裏12曲あったが,現在松井,最上両氏の伝承しているのは7曲のみで,『萬歳流し』はその中の「御門開き」と「秋田御国萬歳」を素材としている。
 萬歳はブッフォ的,スケルツォ的要素の強い,他人を楽しませる芸であり,音楽的には太夫の旋律と才蔵の噺し小鼓のリズムの対照の面白さが際立っている。ともかく萬歳は2人がペアを組んでの門付芸であるから,導入部のあと,合唱団は何組もの太夫と才蔵とに分かれ,会場内に散っていき,思い思いに客席を門付けして回る。ここでは初演の時思いがけず1人の老婦人がつと立上がって団員におひねりを渡し,それがたちまち伝播した。以後の上演にもその習慣は定着し,はからずも,聴衆参加の形がしぜんに出来上がってしまった。音源は場内に広く拡散し.会場空間封本は歌声に満たされ,これに聴衆の笑い声や随時に各所r起こる拍手が混じり合うのがいつもの上演風景である。以上第1,第2の部分では,「御門開き」が歌われるが,後半第3部では,現実にはあり得ないことだが,全体が太夫のグルーブと才蔵のグループとに分かれて,朗々とユニゾンで掛け合いを行なう。ここでは「秋田御国萬歳」が歌われるが,もはや門付けはしないで,いわば虚構の,萬歳師たちのデモンストレーションといった趣となる。

(『日本の音を聴く』より)

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第30回定期演奏会
1980年12月1日 郵便貯金ホール

≪御門開き≫ (曲の前半,歌の部分)
 鶴は千年亀は万劫,君も栄えておわします。御殿造りの結構は,明天に安楽くに,御禁の回りを切り立て切り立て,初めて佛法を弘めたよう。いく千萬歳と申せば弥勒の出世,釈迦の遣経,弥陀の苦界より立て始まり候えば峰の真砂は谷に下り,谷の真砂は峰に上る。大磐石は岩となって岩に苔むし生え生えて,西東北南ゆらりしゃらり,しゃらりと万民も今日祝われ給えば,北は金剛,丑寅は多聞天,戊は広目天,華厳に阿含に宝塔般若,大般若,法華に涅槃に並びにごじん,さては海士の三部の御経,倶舎の御経は三十巻‥・‥・(下略)

≪囃し言葉≫の例 (曲の後半,この他多数)
(イ)旦那さん金箱,お曝さん針箱,嬢ちゃん人形箱,坊ちゃん本箱,大工さん道具箱,芸者の三味箱,炉端で炭箱,猫箱椀箱膳箱・…‥。
(ロ)てんてんばかばか菱子の手,伸ばしてからむがささぜの手,垣根に上るはかぼちゃの手,やぶから出るのは熊コの手,鼓にからまる歳蔵の手,白壁塗るのが左官の手,頭を刈るのが床屋の手だよ。太夫さん。

≪秋田御国萬歳≫ (曲の後半)
 御萬歳とや,御国も栄えておわします。御殿造りの結構は,門門な九つ,やぐらやぐらのその数は,玉も連ねし如くなれば,極楽浄土に異ならねば,かほど目出たき御城の下に,名のある町(ちょう)は三十と六町,その他は数知れず,寺の数は三百三十三寺なれば,北に当って天徳寺,香の煙は芸に上r),いつも絶えせぬ御灯明,光輝く御霊屋。さて水上には藤倉観音,水下には古四王権現,海の表を眺むれば,天竺の方よりも綾や織,帆にかけて,数多の宝を御船に積んで,秋田の港に船が着くぞや,誠に目出とう候え。     



            

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出版 なし

録音

田中信昭指揮 法政大学アリオンコール(ビクターレコード)

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田中信昭指揮 東京混声合唱団一混声版-(ビクターレコード、CD)

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演奏

法政大学アリオンコール
六連(第24回〈初演〉)
法関(第17回、第28回、第33回〈合同〉、第34回〈合同〉)
定演(第25回、第26回、第28回、第30回、第32回、第36回、第37回、第41回、第46回、第62回)

オールアリオン
第5回、第2回OB法関

東京混声合唱団、関西大学グリークラブ、東北学院大学グリークラブ、甍会、早稲田大学コールフリューゲル、中央大学音楽研究会グリークラブ、合唱団パリンカ ほか