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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY


初演 1987年11月26日 第37回定演(新宿文化センター)  指揮 田中信昭

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メッセージ

林 光

『夢の分け前』は、法政大学アリオンコールの委嘱を受けて、きょうのコンサートのために書きおろした。
 去年、男声合唱、女声合唱、児童合唱の三つの領域で試みた、多声的な書法に、興味を示してくださった田中信昭さんのすすめもあり、今回もそのやりかたを引きついだ恰好になった。

 題材は、「列子」のなかのエピソードから採った。ただし、みつけたのは、ホルへ・ルイス・ボルヘス「夢の本」の中でだった。ボルヘスのには、省略と改作がみられるので(その結果文学としては優れてはいるが)これを採らず、岩波文庫版「列子」に依った。
 歌詞の内容を情感的に描写し盛り上げるのではなく、歌詞のリズムやイントネーションから抽出された音型を積みあげ組みあわせて、声の協奏曲のようなものをつくるのが、作曲者のねらいであった。
 作曲の機会をつくってくださった、田中さんと、アリオンコールの皆さんに感謝する。

(第37回定期演奏会パンフレットより)


委嘱にあたって

「夢」から「現実」へ

 その「夢」が始まったのは7月の下旬である。「アリオンが田中先生に御指導いただいてから30年目の定演に新曲を初演したい」というアリオンの希望が、田中先生の御配慮によって林先生に委嘱をお願いする事となった。林先生にアリオンが直接お会いしたのは8月下旬である。林先生は委嘱を快く御承諾して下さり、今年の定演に間に合わせて下さるとの事。「夢」が「正夢」となった。そして次々と渡される楽譜がアリオンの中で昔となり、そして今宵、まさに「夢」が「現実」になろうとしている。
 音楽(特に歌)を含む「芸術」と名のつくものはすべて「夢」を「現実」の場へと引き出す手段であると思う。そして、その「夢」を「現実」の場に出す作業の中にドラマがあり感動がある。だからこそ、人々は「現実」の場に出された、決して「現実」とは成り得ない「夢」を追い、その姿に感動する。

 今、私達はもうひとつのドラマの中にある。「夢」を「夢」として存在せしめる委嘱活動というドラマの中にである。
 題は奇しくも「夢の分け前」である。「夢」と「現実」との境目で、最終的に現実の鹿を手に入れるというドラマをファンタジックな音に乗せ、合唱にしたものであるが、「夢の分け前」を手にした者は誰であろう我々アリオンコールであり、又聴いている聴衆の皆様であろう。次の瞬間、目が覚め、すべてが「夢」であった事に気付くかも知れない。しかし、このひととき、同じ夢を見、何かを共に感じ得た事を幸福に思いたい。
 また、御多忙でありながら今回の委嘱に際し御配慮下さいました田中先生、そしてこの短期間に時間を裂き、私達にすばらしい「夢」を下さった林先生に、この場をお借りして心より御礼申し上げます。

(第37回定期演奏会パンフレットより)

鹿をめぐる訴訟

夢と現実を区別するもの

 鄭の国の一男で郊外に出て薪取りをしていたものがいたが、物におどろいて暴走する鹿に出あい、これを迎え撃ってうまく仕止めた。彼はその鹿を他人に見つけられてはと心配し、大急ぎでこれを掘割の中にかくし、蕉で、その上をおおい、うまくしてやったとすっかり喜んだ。ところが、ふとしたはずみに隠した場所を忘れてしまい、かくてあれは夢だったのだと考えるようになり、帰る道すがら今日の出来事をつぶやきながら歩いた。すると彼のつぶやきを聞いていた他の男がいて、彼のいうことを手がかりに、うまくその鹿をせしめてし
まった。
 さてその鹿をせしめた他の男、わが家に帰ると自分の妻君に話した。
-さっき薪取りの男が夢の中で鹿を手に入れたが、その場所が分からなくなってしまった。ところがその男の口ずさむ言葉を聞いて、この俺が今その鹿を現実に手に入れた。してみると、あの薪取りの男の夢はそれこそ正夢だったのだ。
 すると妻君がいうには、
-お前さんこそ薪取りの男が鹿を手に入れたという夢を見たのでしょうよ。薪取りの男などどこにいるものか。ところが今お前さんは現に鹿を手に入れている。してみるとお前さんの夢こそ正夢でしょうよ。
 亭主はこたえた。
-俺がこうして鹿を手に入れているという現実をふまえていえば、あの薪取りの男が夢を見たとか、この俺のほうが夢を見たとかいうことなど考えられないことだ。

 ところで一方また、薪取りの男のほうは、わが家に帰ると鹿をなくしてしまったことが残念でならなかった。そして、その夜のこと、鹿を隠した場所をありありと夢に見、さらにその鹿をせしめた男のことも夢に見た。そこであくる朝早く夢の内容を吟味した結果、その男を探しあて、かくて訴え出て争いをおこし、その解決を裁判官の手にゆだねた。
 すると裁判官は、
-そなたは初め現実に鹿を自分の手に入れながら勝手に夢の中の出来事にしてしまい、後にはまた本当は夢の中で鹿の在りかを知り得ながら勝手にこれを現実のこととしてしまっている。また相手の男は、現実にそなたの鹿をせしめたのに、夢の中で鹿の在りかを知ったそなたと鹿の取りあいをし、相手の男の妻君はまた、「夢の中で薪取りの男の手に入れた鹿を現実として認めつつも、鹿を手に入れた薪取りの男は現実に
は存在しない」という。要するに夢と現実とを区別することは極めて困難であるが、しかし今はこの鹿が現実に存在しているという事実をふまえて、ひとつこれを半分ずつに分けることにしようではないか。
 といって、事の次第を鄭の国王に言上した。すると鄭の国王は、
-ああ、裁判官はさらにまた夢の中で彼らの鹿を二分しようとするのか。
 といい、このことを国の宰相と相談すると、宰相はこたえた。

-夢と現実とはわたくしごときに区別できることではありません。現実と夢とを区別しようと思えば、それは黄帝か孔子のような聖人にのみできることです。しかし黄帝も孔子も世を去って今はなく、それを区別できる人間は誰もいません。とりあえず裁判官の言葉に従っておかれれば、それでよろしいかと存じます。           (「列子」より)

(第37回定期演奏会パンフレットより)

出版/録音 なし

演奏

法政大学アリオンコール
定期(第37回〈初演〉)

早稲田大学コールフリューゲル
東北学院大学グリークラブ

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第37回定演「夢の分け前」初演、林先生と