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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY


初演 1998年11月19日 第48回定演(川口リリア音楽ホール) 
指揮 田中信昭 ピアノ 下山静香

解説   

原田敬子

 ずっと暖めてきた計画のひとつに、アルチュール・ランボーのテキストによるヴィジュアル・サウンド作品があります。
それがこの合唱曲によって始められるとは予期していませんでした。
 田中信昭先生(指揮)の、「日本語による歌」への熱望に突き動かされ、当初予定していなかった「日本語訳によるランボー」に取り組もうと決心しました。
 私にとって言葉そのものの持つ音は、恐るべき対象のひとつです。
言葉が音声として音楽の中で用いられる場合、その音楽の創作課程において影響を受けることは避けられないからです。
 私だけの音楽であったものが、ランボーの介入によってどうなってしまうのか?
これまでは言葉によるアイデアがあったとしてもそれは完全に消化され、音そのもの異化されてきたのに・・・
 言葉が音声になる=その抑揚やアクセント、フレーズ感や音の持つ音色は、ランボーの場合は原語で読むことによってのみ、その真価を享受できますから、今回の日本語訳では徹底的に言葉の内容に焦点をあてることとなりました。
 私がランボーの詩に視たものは、彼の精神に正起しているヴィジョン、その恐るべき迅速な多産性とひとつひとつの言葉の透徹性でした。

 どれをとっても言葉は詩人の真実であり、生の断片であり、時に、強すぎる光の極端な屈折のようでした。
 全体はランボーの大きな2作品から一行レベルで抜粋・再構成し、説明をぎりぎりまで排することで、演奏者自身の想像力を促しています。
ことばの理解は、個人の経験や知識によって異なるものです。しかし私は、それこそが演奏者にとって大切だと思っています。
 なぜなら人間は皆違っていて当然で、だからこそ出逢いの喜びがあるのです。
 ひとりひとりに感じる心があり、考える力があり、実践するエネルギーがあります。
よく合唱曲では、皆が歌詞の理解を同じにすることによって、それが自動的にいい演奏につながると思いがちですが、この作品では、というより私の音楽はもっと個々の感性を信じています。
 37人いればその全員の、ひとりひとりの実質的な取り組みこそが全体を、生命の連動体として可能にします。
 作曲以前に、何度か練習を訪問した私に映ったアリオンコールの皆さんの、紳士かつ真摯な態度に、私は深く感じるところがあり、この作品を献呈したいと思います。

(第48回定期演奏会パンフレットより)

出版/録音 なし

演奏 

法政大学アリオンコール
定期(第48回〈初演〉)