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アリオン100.jpg法政大学アリオンコール HISTORY


初演 1991年6月26日 第30回法関(吹田メイシアター)  
    指揮 田中信昭 フルート 藤井恭恵 ピアノ 中嶋 香 ティンパニ 村本暁洋

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改訂版初演 1992年6月13日 第31回法関(品川きゅりあん)  
    指揮 田中信昭 フルート 西沢幸彦 ピアノ 中嶋 香 ティンパニ 定成誠一郎

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信連-その爽やかな生き方

田中 均

 平家物語は難解な語句が思いの外少なく、現実に音声で語られることを前提にしているので極めて唇に美しい文言が連なっており、合唱曲のテキストとしてはむしろ危険な程申し分のないものです。危険と言ったのは、テキスト自体がただ口で読むだけで充分美しいので、そこに音楽を割り込ませて、音楽としての魅力を主導的に主張しなければ、作曲家としての私の手柄が立てられないという恐れがあるからです。
『平家物語』に接するのはこの度が初めてだったのですが、子供のころ『源平盛衰記』がお気にいりでしたので、登場する武将達は40年来の知己のようなものです。その中で少年期の私が惹かれたのは源三位頼政でした。この度も初めは頼政にするつもりでした。時を得ず、宇治の平等院の戦いで不遇の生涯を閉じる老将の、時流におもねらない孤高の美しさに憧れを感じたのでしょうか。しかし今、平家物語の原文で読んでみると、少年の日に読んだものとはかなり違ったものでした。孤高の美より無念の想いのほうがずっと色濃く漂っています。この曲で取り上げた信連が登場する少し前のところに、頼政が高倉の宵に、宵の出自の正統を説き、謀反を勧めるくだりがあるのですが、報われぬ正統の無念はむしろ頼政自身の胸中にくすぶる怨念にほかならず、その怨念を基にした大義に因って宮に謀反をそそのかしている様子は正に鬼気迫るものがあります。それはそれでドロドロとした魅力に富んでいて素敵なドラマなのですが、文字の数からいっても内
容の重さからいってもどうも二、二十分以内には到底収まりそうにありません。頼政はもっとジックリ暖めておいて、またの機会にとっておくことにしました。

 信連はなんとも爽やかな武人で心惹かれます。「弓矢取る身は仮にも名こそ惜しけれ」に集約される徹底した個人主義は生き方としての私の憧れるところです。いくら武勇に優れているとはいえ唯一人御所に残って平家の討手を待ち受けるのは、死を賭しての行為で、彼自身の存在に替えても守りたかった何かのためのことでしょう。一体何のために? それは信連自身の名誉のためであり、主君高倉の宮を守るためではありませんでした。平家物語には、自ら善しとするところのために自らの在りかたを置くという、信連のような個人主義を持った武将の話が少なくありませんし、それらは褒むべき雄々しい生き方として背走的に語られています。後代に見る滅私奉公の忠義の武将の話は見当たりません。平家物語の成立期には滅私奉公の倫理観はまだ確立していなかったのでしょう。しかし時代は下って先頃の太平洋大戦のころの社会状況として伝え聞くところは、まさに封建倫理の時代というべきで、そこでは滅私奉公が各個人のあるべ書道、倫理、徳目として問い掛けられるまでになっています。社会思想からみると、もしかすると明治、大正、昭和初期が最も封建的だったのかもしれないなどと思いながら、信連の生き方に胸を熱くして音符を連ねていました。

(第30回法関交歓演奏会パンフレットより)

『祓園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。』

 このあまりにも有名な書き出しで始まる「平家物語」をテキストに用いた『信連』は、法関合同曲として、15回『黒人霊歌集』、20回『わが出雲・博多』、25回『路標のうた』に続く四作目、30回記念の合同委嘱曲です。
 「平家物語」は鎌倉時代初期に作られたとされている軍記物語で、平家一門の興隆から源平の争乱をへて、平家が滅亡してゆく経緯を、滅びゆく平家一門に即して描いた作品です。琵琶法師によって、『諸行無常』の真理を説いた「平家物語」は日本を代表する古典と言えるでしょう。
 さて、権勢を誇った平家ですが、『箸れる人も久しからず』、やがて、源氏に滅ぼされてしまいます。そのきっかけとなるのは、1180年、以仁王の平家追討の令旨。「平家物語」仝十二巻中、巻第四。この『信連』の舞台となるのは、以仁王の令旨の直後、運命の歯車が回り始めた。ドラマチックな瞬間です。
1180年、高倉天皇が平清盛の勧めでその子安徳天皇に譲位したので、高倉天皇の兄である高倉宮(=以仁王)が皇位につく可能性はなくなってしまいました。その宮が源三位入道(=源頼政)の強い謀反の勧めによって、全国の源氏に向けて「平家追討の令旨」を発っします。秘密だった計画もやがて露顕し、熊野別当湛増が都に報告しました。
 入道相国(=平清盛)は、宮を捕えようと源太夫判官兼綱、出羽判官光長を官の御所へ向かわせました。ちなみに兼綱は頼政の次男だったので、危機はすぐに宮に伝わりました。宮は長兵衛尉信連(長谷部信連)のアイディアで女房装束で三井寺(=園城寺)に向かいます。信連は御所で平家の追手を待ち受け、たった一人で大活躍しますが、やがて捕えられ、裁判にかけられてしまいます。本来ならば死罪になるところをその勇名ぶりに命を助けられ、流罪となりました。やがて、源氏の時代になって、能登国に領地を賜わるようになったということです。

 この『信連』では物語はここで終っていますが、高倉宮と源頼政はその後、宇治平等院の戦いで討たれてしまいます。しかし、源頼朝らが兵を挙げ、翌1181年清盛の病死によって、平家は西に追われていき、やがて、1185年壇の浦の戦いでついに滅びます。その時、高倉宮の謀反を最初に通報した熊野別当湛増が、熊野水軍を率いて、源氏方に立って参戦、平家滅亡の原動力となったといいます。
 法関30年の節目として創って頂きました『信連』。主人公・長谷部左兵衛尉信連の生き方に、私達はとても大切なことを学ぶことができます。自己の名誉のために命をも賭ける生き方。その自主的な目的意識を持った姿勢。それは私達にとって非常に大事なことではないでしょうか。何のために唱うのか。何のために生きるのか。何のために生きれば良いのか。何のために……。多くの問題のある今、人類は、そして未来を担う使命を持つ私達若者は、何を為すべきなのでしょうか。
 今宵、琵琶法師に成り代って「源氏」を演ずるは関大グリー、「平家」を唱うは法政アリオン。歌劇を得意とする田中均氏の音に乗って、信連の思い、青原平の思い、そして私達法関の思い。全ての思いが客席の皆様に伝わることを願っています。

 (第30回法関交歓演奏会パンフレットより)

-演奏データ-

 出版/録音 なし

 演奏 法政大学アリオンコール・関西大学グリークラブ
     法関(第30回〈初演〉、第31回〈改訂版初演〉)

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第31回法関「信連」田中 均先生(左端)と